受験期に頑張ればいい?
「受験の学年(中3、高3)になって本格的に勉強を始めれば良い。それまでは部活に燃えて・・・」
よくありがちなこの考え方に、どこか疑問を感じないでしょうか?
感じませんか?自分はそうやってきたからそれでいいんだと思い込んでいたりして。
この、受験期だけ燃え上がる勉強・・・危険ですよ。
入学試験そのものだって、そんな受験生を排他的に扱っているからです。
「勉強は積み上げ」の真実
勉強は積み上げ。
よく聞く言葉ですが、この意味を正しく把握している人はどの程度いるでしょうか。
積み上げとは、文字通り基礎から構築し、ひとつずつ上へ上へと重ねていくこと。勉強も初歩的なところから始めて、徐々に応用に入っていくような過程をイメージしている。前の単元が理解できていなければ次の単元はわからない、だから積み木を組み上げるように学んでいけばよい。
本当にそんなイメージどおりのことができますか?
積み木は一度積み上げれば第一段目はそのままそこに存在します。しかし学習においては、積み木のように定着していくわけではありません。
なぜなら、人は簡単に忘れるからです。使わなければ、あっという間に。
積み上げても積み上げても、下の方から崩れていくのが学びなのです。しかし、勉強は積み上げだと教わってきましたよね。ではその真実は何なのかというと、
「積み上げては崩れ、崩れては積み上げなおす」
この繰り返しこそが、真の学びの姿なのです。
崩れるほど強くなる
忘れちゃうんじゃ意味がない。
そう思うかもしれません。しかし、事実は真逆です。忘れるからこそ学ぶ価値があるのです。
一度学んで忘れたことは、やがて次の学びのどこかで有効活用されます。その時に忘れていることに気付くことになります。すると「復習」の意味が分かってくるはずです。復習とは忘れることを前提とした学びなのです。
逆にこのサイクルを理解していない人は、「自分は勉強しても身につかない」と最初から勘違いし、負の連鎖で勉強から遠のいていきます。
なんと勿体ないことをしているのでしょうね。飛躍のチャンスを劣等感で押しつぶしてしまうなんて。
勉強とは不思議なもので、最初に学んだ時より、一度忘れてもう一度学びなおす時の方が理解しやすいのです。
よく塾生たちが「学校ではわからなかったけど、塾で勉強したらわかった」と言いますが、それは学校より塾が優れているのではなく、塾生たちの復習という行為によるものです。一度で理解できなくても二度三度と多様な角度からレクチャーなり問題演習なりを繰り返せば、理解が深まる。
これこそが「積み上げ」なのです。
すなわち、忘れれば忘れるほど、そこで学びなおしていけば強くなる。
学校の授業を聞いて理解を勧めたければ、一度予習をしておけばよいわけです。予習の段階では理解度なんて2%くらいで良いのです。そのかわり98%の疑問を抱えて授業に臨み、先生の講義を授かれば、疑問の数々が解決されるかもしれません。何も準備しない人より、一歩前へ行ける可能性は高まります。
忘れるための非受験期
もうお分かりでしょう。なぜ受験期だけ燃え上がっているのがダメなのか。
学びを深めるチャンスをことごとく失うからです。
勉強とは試行錯誤の連続であり、様々な手を打って疑問の壁を突破していく思考力を養っているのです。
入試問題はかつての知識量重視から思考力重視へと様変わりしています。
知識が不要という意味ではありません。論理的な思考力が必要ということです。それを養えるのが非受験期の学習ではないですか?
受験期はおのずと体系的な知識の整理整頓が必要不可欠です。その学習にすら思考力は必要となります。もし試行錯誤の経験をすっ飛ばしてきてしまっていたら、断片的な知識や解法みたいなものを、意味も分からず表面的に丸暗記して試験に臨むような学生に成り下がってしまいますね。
いろいろな意見はあるでしょうが、僕はこの程度の学びを余計に資本をかけて行う価値があるとは思いません。
受験期ではない時期にこそ、多種多様な学びに触れて、経験を増やして、そしてどんどん忘れましょう!
忘れたものは、取り返しましょう。
定期テストだって、そのためにあるようなものです。
価値ある学びを子どもたちに!
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