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難問は立ち向かわない限り解けない

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難問ってなんだ?

皆さんにとって「難問」とはどのようなイメージでしょうか。
とても難しい入試を課す高校や大学の問題??
定期テストで誰も解けない問題??
確かに難問ですね。

難問には二種類あります。

・ひとつは、正解にたどり着くまでのプロセス(手数)が多い問題
・もうひとつは、超絶技巧を求められる問題

これらはどうやって克服すればよいのでしょうか。

難問こそ基礎力の集合体

まずは正解までのプロセスを要する手数の多い問題について。
僕が見る限り、多くの難問はこれに属します。
このような「難しい問題」と呼ばれるものは、実は基礎の積み重ねで出来上がっています。

例えば、自転車に乗る、バスに乗る、電車に乗る…など、一つ一つの乗り物の利用法を基礎だとするなら、ここで言う難問とは、これらの交通手段をフル活用して「北海道から沖縄まで縦断する方法を述べよ」と言われてるようなものです。

様々な交通手段の中から最適ルートを探し、そこに必要な交通手段を正確に利用して組み合わせていけば、必ずゴールにたどり着くはずです。しかもほとんどの場合、ある程度の条件が設定されていて、例えば「太平洋側を通って」「海は船で」などの規制がかかることで、ルート検索がしやすくなっています。

このような条件を無視して悩んでいるのが、いわゆる条件をよく読んで考えていないパターンですね。

まったく届かない高さには手を出すな

ここ最近はあまり見かけなくなった気もしますが、ごくまれに「何だこれ?」と出題意図が掴み切れない問題もあります。

誰がそんなこと思い付くのだ?という、何の脈絡もない思考プロセスを含む、簡単に言えば偶然そこにたどり着いた人にしか解けないような超絶技巧を要する問題

こういう、いわゆる稀にしか遭遇しない学ぶ価値もない”奇問”については、存在確認だけ行えばスルーして構わないのです。

・・・という主張を少し拡大してお話すると。

学生の学力によって、難問のボーダーラインは異なります。
教科書の章末問題の段階ですでに手数の多さに戸惑うレベルの子だっています。

チャレンジすべき難問とは、その人にとってちょっと頑張れば超えられるハードルであるべきです。
まだ手が出せない高さにある問題を、たとえ隣の友達がスラスラ解いていたとしても、自分はそこじゃないという自覚を持って、取り組むメニューを決めていく必要があります。

すなわち、「その人にとっての奇問」は、練習素材になりえない問題ということです。
それを一律の課程のなかで区別なくやらせるのは、拷問と言って過言ではないと思います。

身近な応用問題を充実させていこう

一部の奇問を除けば、一般的に難問と言われる問題のほとんどは、基本事項をいかに効率よく正確に組み合わせて目的の正解へ思考を導くかというもの。したがって何か特別な知識やレアなテクニックが必要な問題ではないのです。

このような問題を克服するためには、普段学んでいる基本事項が応用される場面やその使われ方について、日々学んでいくことが必要です。よく皆さんが言われる「応用問題を解く」というのは決して難問を解くことではなく、基礎の組み合わせ方や利用の仕方を学ぶことなのです。

いずれにしても難問から目を逸らしたら一生解けません。

自分の実力に目を背けずに、学習結果から自分の力を知り、あともう少し背伸びをすれば手が届きそうな問題=あなたにとっての難問に立ち向かってほしい。

バスや電車でちょっと隣町まで・・・何気ないそういう小さな冒険の繰り返しをしてほしい。

毎日の学習の大切さをよく認識してほしいですね。

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